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アメイジング・スパイダーマン アメイジング・スパイダーマン2

アメイジング・スパイダーマン アメイジング・スパイダーマン2

 BDを見て参りました。
 見た映画は「アメイジング・スパイダーマン」「アメイジング・スパイダーマン2」

【ストーリー】

両親を亡くし叔父のベンと叔母のメイの許で育てられたピーターは、ある日自分の父親が残したバッグに隠された資料をみつける。父について知りたいピーターは、父の研究者仲間だったコナーズ博士に近づき、博士の授業に参加する。しかし単独で行動し侵入した部屋で、遺伝子の組みかえられたクモに刺され、博士の下で勉強している同級生のグウェンに追い出される。その帰りの電車の中で、ピーターは驚異的な力に目覚める。
翌日、ピーターは博士の家を訪ね、資料にあった式を教えた。その夜、帰宅したピーターはベンと衝突しいきなり家を飛び出す。しかし自分を追いかけたベンは、自分が見逃した強盗によって殺されてしまう。犯人を捜し出すため、彼はクモをモチーフとしたスーツを着てスパイダーマンとなる。
一方、ピーターの教えた式によって作った薬を博士は自分で実験をする。しかし、完成したと思われていた薬は不完全なもので、博士をリザードに変身させてしまう。リザードの正体を博士と知ったピーターは、彼を止めようと決意する。


スパイダーマンとしてニューヨークの平和を守るピーターは、恋人グウェンとすごす日々を満喫していた。しかし同時に、彼女の亡き父親ジョージと交わした「彼女を危険に巻き込まないために別れる」という約束を果たせず苦しんでいた。そんなピーターを見かねたグウェンは、彼と別れることを決意する。
一方、オズコープで働く電気技師のマックスは、街の送電システムを設計した優秀な男だったが、その冴えない風貌と性格から誰からも好かれず、自身の命を助けてくれたスパイダーマンに異常な執着を見せていた。ある夜、彼は作業中の事故で電気人間(エレクトロ)になってしまい、その力をコントロールできず街を破壊してしまう。これを止めに来たスパイダーマンに名前を覚えられていなかったことや、自分とは違い人々から愛されている姿に嫉妬した彼は、スパイダーマンの命を狙うようになってしまう。
そしてその頃、オズコープのCEOであるノーマンが死去。彼の息子であり、ピーターの旧友であるハリーがニューヨークに戻り、オズコープの新CEOに着任する。しかし、彼も父同様に不治の病に侵されており、その命は残り少ないものだった。彼は父が残した過去の研究データから、治療するにはスパイダーマンの血液が必要だという結論に達するが、それはあまりにもリスクが高すぎるため、ピーターはスパイダーマンとして血液の提供を拒否する。これによりスパイダーマンを憎むようになったハリーは、エレクトロと共謀して彼の抹殺に動き出す。


評価:
A

 1、2と続けてみましたよ。
 サム・ライミ版の後を追って始まった新シリーズですが、業績不振ということで、この2部作で終わってしまったという、不遇の作品であります。
 不評の原因は様々ありますが、単純な話として「制作陣が想定していた収入を挙げられなかった」ということだと思います。当然それは「続編が中止になる」理由としては妥当で当然でもあるのですが、「だから作品として失敗」というわけでは勿論ないのです。「50億」稼ごうと思って「40億」しか稼げなかった作品は「10億」の赤字ですが、「500万」稼ごうと思って「600万」稼げた作品は「100万」の黒字なのです。利益にはなってないかもしれませんが、映画単体で見れば前者のほうが後者よりも「1000倍」の価値があるわけです。
 ましてや、これは金額と映画の評価が直結したと仮定した場合の話。現実はそんなものでは勿論なく、何億稼ごうが駄作は駄作だし、一人しか見てなくても傑作は傑作。商品としての価値と、作品としての価値は何らの関連性がないものなのです。
 というと「多くの人に支持されているということは、それだけ良い作品なのだ」という論調が出てくるじゃないですか。
 バカじゃないの、って話ですよね。
 映画もそうですし、裁判員裁判なんかもそうですけど、知識がない人間が「感性」と言い張る「感情」で評価したものなんて、いい結果をもたらすわけがないのですよ。ましてや数が多いから正しいという結論に結びつけたりとか。感情の数じゃなくて、色々な視点から分析をして、面白いかどうか決まるのですよ。だから真に面白い作品というのは、好き嫌いを超越して面白い。少なくとも「面白いとは思うけど自分は嫌いな映画」という評価になるわけ。
 去年の日本は、この部分に関して、本当におろそかだった言いようがない。ちゃんと映画の面白さ、良し悪しを分析することなく、「たくさんの評価」=「売上」だけを見て、面白いと決めつけていた。本当に、それは良くないと思いますよ。ここを疎かにしていると、せっかく映画館に来る流れができているのに、一過性のムーブメントで終わってしまうのですよ。それをね、非常に危惧している。
 だから、今すぐにでも無限の住人の映画化は中止するんだ!

 まあ、アメージング・スパイダーマンに関係のない話なので、まあいいです。つまりは、この映画はそんなにつまらなくはないよ、ってことです。

 話の骨子は典型的なスーパーヒーローもの。普通の高校生がひょんなことからスパイダーマンになります。
 とはいえ、この「アメージング・スパイダーマン」のピーターはサム・ライミ版に比べて「できる子」なのです。頭も良いし運動もできる。その上目的のためには手段を選ばない面も見せる、と。これだけ聞くとむしろ完璧超人じゃないか、となるわけですが、話の中で嫌味が出ない理由が、彼の目的が「両親の秘密を追うこと」と、「大好きなグウェンと一緒にいること」だけという、ある意味青春真っ只中な欲望に、あまり頭を使う感じでもなく突っ込んでいくところなのです。まさしく才能の無駄遣い
 スパイダーマンはアイアンマンなんかと違い、分別のある大人ではないのですから(正直トニー・スタークが分別ある大人だとは思っていませんが)、このぐらいの猪突猛進さは大切だと思うのです。

 あとは、恋人のグウェイン・ステイシーとの関係性も良かったと思います。
 サム・ライミ版のヒロインのメリー・ジェーン・ワトソンも良かったのですが(キルスティン・ダンストが好きだから)、あちらは護られるヒロインであったのに対し、グウェイン・ステイシーは共に闘うヒロインであるのが、明確な差別化が出来ていた、且つ、ヒロインとしての魅力に富んでいたと言えるのではないでしょうか
。実際彼女の最期は、彼女がスパイダーマン=恋人と並び立つことを選択した結果導かれたものなのですから。

 あとは、スパイダーマンが変装中には終始喋っていたことも、ポイントが高い。サム・ライミ版はちょっと静かだったので、このくらいべらべら喋ってくれたほうが、スパイダーマンらしいですよね。MCU版のスパイダーマンがどの程度喋るかも興味ありますが、シビル・ウォーくらいは喋っていただけるといいかな。

 スパイダーマンは嫌いではないのもあり、この作品も十分評価しうるものだと思います。色々な要因で続編は出ませんが、まあ、続編ありきの今の映画作品群が正しいとも思いませんし、十分良いものであると思います。ただ、シニスター・シックスの伏線がバッキバキに貼られていたのに、それが見れなくなるのは残念ですけど(スーサイド・スクワッドとかぶるけれど)。
 でもホームカミングは見るかどうかはまだ未定。多分見るんだろうけど
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