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アイアムアヒーロー

アイアムアヒーロー

 DVDを見て参りました。
 見た映画は「アイアムアヒーロー」

【ストーリー】
漫画家アシスタントとしてパッとしない日々を送る、35歳の鈴木英雄(大泉洋)。そんな彼の恋人が、人間を凶暴に変貌させるウイルスに感染して襲い掛かってくる。慌てて趣味の射撃で所持する散弾銃を手に外に飛び出す英雄だが、街はZQNと呼ばれる感染者であふれていた。出会った女子高生・早狩比呂美(有村架純)と逃げるが、彼女は歯のない赤ん坊のZQNにかまれて半分ZQN半分人間という状態に。比呂美を連れてショッピングモールに逃げ込んだ英雄は、そこで藪(長澤まさみ)という勝気な看護師と顔を合わせる。


評価:
A

 ※原作未見です。

 基本的に私は邦画を見ないのですよ。
 別段それは、見たくないから見ないわけではないのです。いや、まあ見たくないから見ないのは間違いないんですけど、見たくない理由は別に「邦画だから」ではないんですよね。いやまあ、それも間違いではないのですが
 なんというかですね、別段邦画でも「面白ければ見るし、見たい」わけですよ。別に製作国によって面白さが可変するなんてことはあるわけがなくて、ハリウッドのビッグバジェットだって駄作は山ほど作るし、知らない国が低予算で佳作を生み出したりもするわけでね。そこで何かを判断することはない。
 ただ、経験則というか、単にデータ上の問題として「邦画を見て面白いものに出会うケースは稀」なわけですよ。勿論邦画にも面白いものがあり、それは分かっているけれども、正直それは誤差の範囲ですらあって、利を得る可能性を排除して計算できるくらい、損をする可能性が高いわけです。
 勿論勿論、「それはサメ映画だって同じだろ」と言われれば反論のしようもないですよ。ただ、サメ映画なんて、映画界の中でも端くれでほそぼそと制作されているようなものじゃないですか。低予算でキャストも無名で、そう言った人たちが排出しているものですよ。そういう、こう言っちゃなんですが完全なる傍流と比べられて満足してるどころか、他人の揚げ足を取りたいがばかりに自ら傍流と並び立つっていうのは、どうかと思うわけですよ。そういうところに邦画の志の低さがあるわけですよね。ついでに言えば、その傍流の映画ですら、ピラニア3Dなんて傑作を生み出したりするわけですよ。予算も後押しも受けてる邦画は何をしてるんだ、って話ですよね。
 もっと言うなら、つまらない映画で比較した場合、サメ映画のつまらなさと邦画のつまらなさは根本的に違う。サメ映画のつまらなさの感想は「時間を無駄にした」って言う虚無感であり、あとには何も残らないけど、邦画のつまらなさは、もれなく押し付けがましい説教臭さと過度にウェットな展開があり、非情にイライラするのですよ。残るのはジメジメジトジトした苛立ちだけで、つまらない邦画を見ると、時間の無駄どころか完全なるマイナスでしかないんですよね。
 だから、面白い邦画を見るために冒険することが出来ない。サメ映画に比べて、失敗する確率は同じくらい低いのに、失敗したときのダメージが段違いに大きい。
 だから、邦画は見れないのです。


 とまあ、ごちゃごちゃ書いた所で、結局この映画は見たわけですよ。
 見た理由としてはいくつかあります。
 まずは、主演が大泉洋だったから。いやねぇ、ガメラ2でエキストラやった上にエンドロールに名前がなかった男が、よくぞまあって感じですよね。「二度と映画にでることないよ」などとボヤいておりましたが、いやいや、エキストラどころかすっかり主演が板につく俳優になって。安田さんはまだ名前が出ると感慨深いものを感じますが、大泉さんはもう、そんなのもないですからね。
 そんな大泉さん主演の「アイアムアヒーロー」ですが、邦画じゃないんじゃないかってくらい、とっても面白かったです
 邦画であることと漫画原作であることでマイナススタートであるわけですが、それを押し切るほどプラスの要素があり、他のB級アクション映画、ないしゾンビ映画と比較しても何ら劣るところはないどころか、より面白いとすら言える作品であると思います。少なくとも、バーニングデッドの2億倍は面白いです。
 元々が「ゾンビ映画」という、ある程度フォーマットの確立されたジャンルであり、本作もそのフォーマットにしっかりと則ってストーリーを展開しています。そもそもがゾンビ映画だという触れ込みであり、そして主人公の英雄が非情にネガティブな人間であることが描写された時点で、映画の方向性が「パンデミックを通じて英雄が覚醒する話」であることは容易に分かるわけです。しかしそれが映画の面白さを減じているわけではなく、むしろ最後に来る「英雄の覚醒」の瞬間のカタルシスそのものが映画の訴求力になっているわけです。
 これはつまり、「王道ストーリー」が普遍的に持つ訴求力で、「わかってるけど楽しみ」の典型的な流れでしょう。
 勿論、ゾンビ映画界隈だけ見たとしても、この手のストーリーは溢れています。うだつの上がらない主人公が危機的な状況でヒーローに覚醒する。しかし、それだけで映画の全てが決まるわけではない。何故この作品が面白いかというと、「何も考えずに見られる」からなんですよね。特に深い思考を巡らせなくても、物語がすっと理解でき、英雄の覚醒ストーリーに没頭することができる。
 それは話が浅いということではなく、語るべきところを明瞭に語り、本質でない部分を削っている、ということなのでしょう。
 今作で言えば、どうして世にゾンビが溢れ出したのか、その説明は一切ありません。でもそれは、この映画では必要のないこと。だから、何も語らない。ただ世界が置かれている状況は、少しずつしっかりと語っていく。

 冒頭に「人間が土佐犬に噛み付いた」ニュースを流して、しっかりとそれを拾う(しかし深く掘り下げない)。
 次に恋人に異常がおき、英雄が見に行くとゾンビ化していた。このゾンビ化を容赦なく描いており、とんでもないことが起きていることを瞬時にわからせる。

アイアムアヒーロー
 ここの動きは本当に怖かった。以降ここまで大胆なゾンビの動きはないけど、はじめに出てくる異変でここまで突き抜けているのが素晴らしい。

 その後職場に行けば、ゾンビ化は更に拡散しており、更に町に行くに連れてゾンビは増えていき、ついには山のようなゾンビが襲ってくる。
 このあたりの一連のフローが、実にきれいに流れていたように思います。何が原因かはわからないけど、とんでもないことが起きていることが、実に端的に表現されていました。
 長期展開を望める漫画や小説であれば、この原因を探るのも勿論楽しみになるのですが、時間の限られている映画でそれをやるのは、「映画の尺が無駄に間延びする」「物語の軸が散漫になる」などのデメリットが大きいので、そこをバッサリ切り落としたのは良い判断だと思います。だからこそ、英雄の覚醒という主軸がしっかり描かれており、覚醒の瞬間。素直に楽しいと思えるのです。
 そうやって「何も考えずに見る」ためには、製作者は色々なことを考えなければならないのです。こういうことが邦画でも、そして漫画原作の映画でもできるのなら、まだまだ全然、見捨てたものではないでしょう。

 楽しかったです。ただ続編はいらない。ここで英雄の覚醒という話は完結しているから。

アイアムアヒーロー
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