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シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

 映画を見て参りました。
 見た映画は「シン・ゴジラ」



【ストーリー】
東京湾で大量の水蒸気が噴出するという現象が起き、同時に海底を通る東京湾アクアラインでもトンネル崩落事故が発生する。これを受けて政府では緊急会議が開かれ、事故の原因を海底火山や熱水噴出孔として対応を進める。その際、ネットの動画で海上に出た何者かの影をみていた矢口蘭堂内閣官房副長官は、未知の巨大生物が海底に潜んでいるのではないかと疑問を呈するが、証拠もなく一笑に付される。しかし間もなくして巨大生物が海上に現れ、多摩川河口から呑川へと這いずるようにして移動、さらに大田区蒲田に上陸し北上をはじめる。


みんしーやん的評価:
B-

 シン・ゴジラの監督が庵野秀明に決まった時、世間的には「やった! この人に任せておけば安心だ!」みたいな空気が確かにあったわけですが、正直その時から「いや、この人肝心なときにずっこける人だぜ?」と思ったものです。つい最近エヴァを見なおして思いました。あと真作ってなかったしね

 まあそれはいいとして。

 他のレビューでも色々言われていることですが、正直これは「怪獣映画」ではないですよね。
 災害映画、いわゆるディザスター・ムービーというやつです。
 そういう意味では、映画のジャンルの傾向として近いのは、「2012」だったのではないかと思います。
 「2012」は未見ですが、物語を語るラインとしてはその辺りが近かったと思います。
 とは言え、「ゴジラ」の名を冠した上に、実際我々のよく知る形状のゴジラが出てくるわけですから、やはりこれは怪獣映画であり、ゴジラ映画でもあるわけですよ。というか、誰かが「いやいや、怪獣映画じゃないですよ、何勘違いしてるんすかプークスクス」くらいに言ったところで、「しらねぇよ、ゴジラ出てんだろうが!」というのは明白な事実であるし、「そもそもなんでお前が映画のジャンルを決めてるんだよ、映画のジャンルを決める担当の神かよ」ってなるので、災害映画としても、怪獣映画としても、そしてゴジラ映画としても、色々言っていこうと思います。






 では、色々分けて言っていきましょう。

●「災害映画」として

 ゴジラを「対処すべき天災」と位置づけた上でのディザスター・ムービーとしては、かなり高い点数を与えてもいいのだと思います。
 突如発生した天災、対処する手段は持ち合わせていない。国の中枢をめぐる政治家たちが、頭を突き合わせ、しかしながらそれは勇壮と言うにはあまりにも貧弱で、逃げ腰と日和見と、責任転嫁と現実逃避と、優柔不断と楽観主義が相まって、事態が後手後手に回るあたりは、非常にリアリティがあっていい意味でイライラしました
 そして主人公の矢口が、七面倒な行政区分を取っ払って特殊プロジェクトチームを結成したあたりから、このはみ出し者集団が事態を解決するのだという、王道なカタルシスのたたき台になるのですね。
 後半から見えてくる「日本という国家に対するヒロイズム」は、正直胸糞悪くて、これを「映画だから」といちいち脳内変換する作業が本当に面倒なので、できれば全ての映画を作る人達はこの無意味な主張をやめて欲しいというのが、偽らざる本心ですが、ただそれは私個人の意見でしかないので、それを取っ払えば、映画のしてのスパイス、盛り上げの推進力としては力があると思います
 なので「天災に抗う人間たちの物語」としては、十分好評価でいいと思います。


●「怪獣映画」として

 先に言えば、怪獣映画としてはそれほど面白みを感じなかった、というところでしょうか。
 今回のゴジラは、形状こそ過去のものに沿っているとはいえ、その成り立ちや生態など、過去のゴジラとは似ても似つかないものになっています。
 それは、それで構いません。ただ、今回のゴジラには怪獣としての魅力を感じない

 ゴジラが背中とか尻尾から熱線を撒き散らす図はよかったです。ただ、すごく使徒っぽかったのは否めないでしょう。たぶんこの人は永遠に、好きな構図で絵をとるとこう言われるのだろうな
 ただそこ以外に怪獣としての魅力は感じなかった。フォルムはいいんだけど。
 というか、今回「ゴジラは何にもしてなかった」と思いませんか? ただ歩いていただけじゃないですか?
 海から上がって、歩いて、海に戻る。また海から出てきて、歩いて、冬眠して、起きて、凍る、って。ゴジラが人類に対して「破壊してやろう、攻撃してやろう」という明確な敵意は全く見えません。その明確な敵意、というか「意思」のない存在に対して、未曽有の大災害だと騒ぎ立てる様が非常に滑稽に思われたのです。一番初め、1954年のゴジラですら、人類に対する明確な敵意と破壊の意志があったわけです。今回それがない。ないから、被害が甚大だと劇中で報じられても、全く実感がわかない。
 勿論、実際ものはいいだけ壊れてるわけですし、人死も損害もでてるのでしょう。でもそれはゴジラが「破壊」したから発生したものではなく、ゴジラが生きた結果「壊れてしまった」ものでしかない。だから、劇中の人物に同情できない。なんなら、劇中にいない、対岸から眺めているだけの観客には「いやいや、ゴジラくんただ生きてただけじゃない、なんで殺すの、可哀想じゃん」という思いさえ生まれてくる。一応、空爆に対するカウンターで攻撃はしてましたが、それも攻撃されたからやっとしている反撃でしかない
 倒すべき敵としての怪獣を描けてないのですよね。生命としての怪獣を描けていたとしても。
 その原因はなんとなくわかって、結局は「映画を撮る技術」なんですよ。
 鎌倉に上陸したシーンに象徴的なものがあって、ゴジラの巨大な尻尾が振られるのを、そこにいる人物視点で見上げているわけですが、この尻尾は何を破壊するだけでもなく、ただ住民視点からのインパクトの有る絵を作っただけで、何一つものを壊すことがない。
 要するに、技術的な問題で、その画角で街を破壊する画が作れなかった。その至近距離で街を破壊しても違和感のない画をCG作ることが出来なかった。だから、ゴジラの尻尾は街を破壊しなかった。
 似たようなシーンは他にもあります。明確に何かを破壊しているシーンも有ります(歩いて踏み潰したとかそんなんだけど)。ただ数は限られている。少なくとも、上記のような、そこで尻尾が襲いかかるのであれば非常に魅力的になるだろうシーンが、いくつもオミットされており、遠景からの破壊、つまり、画が作りやすい場面での破壊が集中的に描かれていたように思います。FFの旧作と同じで、技術力が、明確に映画にマイナスとなっています。
 リアリティが追求できないなら、それを代替する方法はいくつもある。フルCGという選択をとったとしても、例えば尻尾のシーンの後、遠景でもいいので「尻尾を地面に叩きつけるシーン」を入れるだけで、見てる人間は「見上げた人々」が「尻尾にたたきつけられた」と思うわけです。それだけで、ゴジラを「驚異」と思うのです。
 CGは、嘆くほどのことはではないですが、圧倒的にFF15の方がよかったです。FF15の頃はCGもすごいとほめてましたが、実はそれは、全てをCGで作った時の話で、実写と復号化させると、まだまだ日本の技術では難しいところが多いのですね。
 そんなこともあり、怪獣としての魅力に乏しい、つまり、怪獣映画としての魅力に乏しい出来となってしまっています。
 これだったら、きぐるみでやってもらったほうがよっぽどいい画が取れたのではないでしょうか。明らかなミニチュア感なんて、いくらでも脳内で変換できるんですよ。リアルを追求した結果カタルシスを切り捨てるのであれば、それは映画の選択肢としては間違ってると言わざるをえない。


●「ゴジラ映画」として

 表題にこう書きましたが、ゴジラ映画としてはどうかわかりません。っていうか、ゴジラ映画って何ですか?
 私の知ってるゴジラのスタートは、おそらく「ゴジラvsビオランテ」になるんですよ。なのでそのイメージをそのまま表現するのなら、「人類に災厄をもたらす存在」ではあっても、「反核の象徴的存在」ではないのですよね。
 ゴジラそのものにそんな「反核」とうメッセージ性を強く背負わされてきたことが、今まで何回あったか、ということなんですよ。
 確かに、1954年の映画にはそれがあった。それ故に映画が大ヒットしたというのも、分かります。
 でも、「ゴジラ=反核」というテーマは、その時点でもう終わっているわけですよ。なんなら、新しい兵器への警鐘すら鳴らしているわけですよね。だから以降の作品に「反核」というテーマを盛り込むことを必然とするのなら、それは非常に味の濃い、実に説教臭い作品にしかならないと思うのですよ
 むしろ、昭和のゴジラシリーズはそこを上手く切り離すことが出来、(時代というのもあるにしろ)ヒーローとして方向転換できたからこそ、今までゴジラが継承でき、このシン・ゴジラという作品にまで漕ぎ着けたのではないでしょうか。
 「反核」というテーマ性を切り落とし、エンターテイメントに徹したからこその、今のゴジラなんですよ。「反核」なんて絡めなくても、「圧倒的に強い怪獣」だけで、ゴジラは十分魅力的なんですよ。ファイナルウォーズとかその最たるものではないですか(ゴジラ自体はファイナルウォーズは大好きです)
 なればこそ、「ゴジラ映画」という括りそのものが、「過去のゴジラ映画が現在のゴジラ映画を否定するためだけの標榜」でしかなく、それは今や「日本のゴジラ映画が海外のゴジラ映画を否定するためだけの標榜」に成り下がっているように感じます。
 「ゴジラ映画」など存在しない。しいて言えば、「ゴジラという強大な怪獣が出てくる映画」こそが「ゴジラ映画」であり、そのくくりで言えば、昭和シリーズも、vsシリーズも、ミレニアムシリーズも、ギャレゴジも、そして「シン・ゴジラ」も、間違いなく「ゴジラ映画」なのですよ。


 まあ、そんな感じですね。
 総評としては、映画としての出来はそこまで卑下するものではありません。ところどころエヴァっぽかった(BGMもまんま使ってたし)のを含めても、悪くはないと思います。
 ただ、これは誰がなんと言おうと「怪獣映画」です。その怪獣映画の主たる怪獣に、魅力が感じられないので、素直に楽しめないというのが正直なところです。「ゴジラ映画」の定義を必死に規定する奴らを無視したとしてもね。

 なので、この映画を楽しく見るのであれば、ゴジラという存在を忘れて、何かディザスター・ムービーをみてから臨むのが良いのではないでしょうか。
 2012とかいいのではないでしょうか。監督ローランド・エメリッヒですし


 あとマフィア梶田どこにるんだよ、みつからねぇぞ。

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