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ヤコペッティの大残酷

ヤコペッティの大残酷

 DVDを見て参りました。
 見た映画は「ヤコペッティの大残酷」

【ストーリー】
昔むかし、ウェストファリアの城に心優しき無垢な青年カンディードがいた。師パングロスの「すべてこの世は善」という教えに従うカンディードは、城主の娘であるクネゴンダ姫に恋焦がれる身。だがある日、庭の草むらで愛し合おうとしたその時に、城主に見つかり城を追放されてしまう。故郷を追われたカンディードは姫との再会を夢見て世界をさまよう。戦時下のブルガリア、拷問だらけの異端審問、現代のニューヨーク、紛争絶えないイングランド、女兵士が戦うイスラエル……。はたしてカンディードはクネゴンダ姫と再び会えるのだろうか?


みんしーやん的評価:
B

 古い作品でありますがね。

 「グァルティエロ・ヤコペッティ」と言えば、現代映画史の授業なんかでは名前が出てくるような人だと思います(その手の授業受けたことはないですが、出てきますよね!?)
 詳しくはググれというところですが、簡単に説明しますと、いわゆるモンド映画とジャンル付される「衝撃的で目を背けたくなるような事象、風習、場面を見世物感覚で編集した映画」で、走りというわけではありませんが、ほぼその位置に立っていた人です。自分は未見なのですが「世界残酷物語」(原題:Mond Cane)が世界的に有名になり、そのMondoをとって、モンド映画と呼ばれるようになったらしいです。とって、と言うか、Mondoをタイトルにつけた映画が山ほど出てきたから、ってことなんですけどね。
 モンド映画の是非についてはあると思います。結果的に「やらせ」「嘘」が満載だったわけで、どんなにキレイ事で締めたところで差別意識にまみれたものであることに疑いようはないわけですから。
 ただ、一つのムーブメントを生み出したという事実は、それが時代背景や運に根ざしたものだとしても、評価すべきことだとは思うのですよ。
 ところで、この人2011年になくなっているのですね。すごく最近まで生きてたんだ……。

 さてさて、それでこの「ヤコペッティの大残酷」です。「世界残酷物語」から「残酷」とあからさまな邦題がつけられていますが、実際のところはモンド映画ではなく、立派な劇映画です。
 原作はヴォルテールの「カンディード」ということですが、原作は未見であらすじくらいしか知りません。それでも、この映画が「原作通りに書いてない」ことはわかります。だって現代ニューヨークとかにいちゃうんだもんね。物語を逸脱しながら、ニューヨークに、アイルランドに、イスラエルに飛んでいき、そこで人間の凄惨さをつらつらと描いているわけです。
 もうね、救いなんかないわけ。
 一番凄惨なのは、お姫様がどんどんビッチになっていくことでしょうか。
 そもそもスタートに127回犯されたって時点で、お姫様自体は「完全に和姦じゃねぇか!」ってくらいやる気満々だし、その後四人の所有物になったところも、そんなに嫌がってる感じがしない。っていうかまあ、冒頭カンディードとイチャコラしてる時点で目覚めちゃってる感があるから、ある意味ここが一番残酷なところなんじゃないですかね。
 結局、男子は自分の性的快楽は棚上げして女子に清らかさを求めるけど、女の子だって楽しいことはしたい、ってことなんでしょうかね。
 そんな愛すべき美しいお姫様とのすれ違いは、最終的に老婆と成り果てたお姫様と再開によって幕を引く。かつての魅力を失い、もはや誰にも相手にされなくなった(であろう)醜い女性が求めるのは、かつて自分を愛すと言ってくれた男だけ。しかし男は、その彼女にはかつての情熱を感じることなく、ただ、彼女を愛していたという「責任」に駆られ、彼女のそばにいる。
 これもまた、非常に残酷な結末。かつては心から愛していたはずなのに、心から愛すことができなくなっても、愛という責任において縛られ続ける
 悲惨な現実やら何やらがつらつら描かれていましたが、結局一番の悲劇はここなんじゃないでしょうかね。
 となると、これって原作の趣旨と非常に似通っていて、切り口や描き方が非常に意地悪なのは否めませんが、ただのキワモノではない、案外しっかりとした作品なのではないかと、思うわけです。

 ちなみに、見た映画は修正などが一切されていないものでしが、この時代のものとなると、女の子が全裸になってたとしても性的な視線にはならないよね。
 となると、今の世の中で性的だの自主規制だの言ってるあれこれって、非常に刹那的な問題ではないのかな、と思ってもみたり。
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