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KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV

KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV

 映画を見て参りました。
 見た映画は「KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV」



【ストーリー】
神聖なクリスタルを擁する魔法国家ルシスと、そのクリスタルを狙うニフルハイム帝国の対立は、長年続いていた。ニックス・ウリックらルシス国王レギス・ルシス・チェラム直属の特殊部隊・王の剣は、ニフルハイム帝国軍の侵攻に抵抗。しかし、敵の勢いを前に王は王子ノクティスを政略結婚させ、首都インソムニア以外の領地を放棄する。そして、ニックスはインソムニアで王国の存亡を懸けた戦いに身を投じることになり……。


みんしーやん的評価:
A

 直前に2001年版の映画ファイナルファンタジー(話や企画のつながりはありませんが、便宜上旧作呼んでおきます)を見ていたこともあって、色々と比べる部分はやはり多くなっていますね。
 世間の評価は概ね好評なようですが、その趣旨を乱暴にまとめると「旧作が興行的に失敗した結果面白くなかったらしいので、それと比べて今作は面白い」というところになりますでしょうか。
 要は、評価の基準が旧作であり、その比較で面白い、というのが評価の根幹にあるのです。
 これはね、よろしくないと思うのですよね。
 そもそも旧作と今作は何も関係がない。企画も繋がってないし、当然世界観も完全に乖離している。それなのに「面白い」理由が「旧作と比べて」っていうのは、やはり映画批評的なものではないなと思うのですよ。

 ふとした疑問として、「映画を見ること」に一般の人って、どの程度時間を割いているのでしょうかね?
 連休中に一日程度見る人もいれば、年に1回も見ない人もいるし、毎月見ている人、毎週見てる人、毎日何かしら見ている人だっているわけですよ。
 受け取る時のインプレッションが異なるのは当然として、映画に触れている回数が多い人のほうが当然、映画全体に対してより深い意見を持つことができるのだと思うのですよ。他の作品との比較もできるし、過去の類型から引っ張ってくることもできる。
 多くの意見が必ずしも優位ではないっていうのは当然として、今は「映画を見てない人」の意見も「映画を見ている人」の意見も、同じベースで語られてしまっているので、そこを明確に分けて意見収集することができれば、もっといい文化交流になるのではないですかね? という、本心とは乖離した強調部分での結び。

 でまあ話を戻しまして。

 ただ、それも致し方無い、とは思います。どうしてもやはり比べてしまう。
 旧作が公開されたのが2001年。今作が2016年。実に15年の月日が流れているわけです
。その間に、映画も色々なものが変わっています。勿論CG技術というものは眼を見張るものがありますが、変わっているのは、それだけではないのです。













 この15年で、映画を取り巻く何が変わったのか。そして、それがこの二作のファイナルファンタジーにどんな影響を与えているのか。つらつらと書いていこうと思いますね。

①技術の発展
 やはりこれが大きい。かなりのウェイトを占めていることは否めません。
 CG技術の発展はこの15年で目覚ましい物があります。旧作でも止め画としてのビジュアルについては、当時ですら否定されることは稀だったわけです。実際つい最近見なおした私ですら、「今見ても遜色ない」と思ったわけですしね。
 でも今作を見たら全然そんなことなかった。遜色あった。
 その技術の発展のおかげで、旧作ではできなかった、あるいは、やろうとしても多大な労苦を強いられていたことが、いとも簡単に実現できたのです。
 端的に言えば、登場人物の表情。旧作と比べて、圧倒的に(CGの)役者の表情の演技が多彩になっている。その人物が何考えているのかが表情で読み取れる。
 技術的な問題もさることながら、CGで表現をする、ということに対して、ノウハウがしっかり蓄積されているというのも見逃せない点でしょうか。
 我々はこの15年間で、多くのCGキャラクターを見ています。CGのみで世界を構築することは勿論、CGと実写を違和感なく溶けこませる技術も練りこまれているのです。
 そして、そんな映画を沢山見ている。もはや、何が実写で何がCGか分からない画が作られ、そして大きな問題として、それを十二分に見慣れている。
 つまり、どういうことか。
 旧作では、まだ物珍しいCG表現に対し、CGという存在として捉えていたものを、今作はそれがすっかり馴染みになっているので、構えることなくCG世界を受けれることができる。目の前で展開される街や魔法が、勿論CGであることは分かっていても、CGと意識して見ることがなくなっている
 これは結構大きなことだと思うのですよ。技術よりも、見る側の意識がCGへの壁をなくしている。だから物語に没頭できると思うのです。


②物語を閉じる必要が無い
 15年前にはなかった映画文化として、続編を強く意識した結果、物語を閉じる必要がなくなった、ということがあげられると思うのです。
 それまでも「スター・ウォーズ」とかあるのですが、一般的ではなかったように思います。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がそれに当たりそうですが、あれは本来1作目だけで完結させる話でしたからね。あとは、2002年に公開された、「ロード・オブ・ザ・リング」も続編が前提の作品ですが、これは原作の規模を考えたら仕方がないことなのかな。
 ただ、ちょうどその辺りから、映画というものが一つの作品で完結するものではなく、他の作品との広がりを強く意識したものが多く見られるようになった気がします。批判もあるのは間違いないですが、それを上回る勢いでその手の作品が出回っているので、そういう「物語が完結しない作品」を見ても、抵抗は随分薄れていると思います。
 最たるものが「MCU」であることは間違いないでしょう。っていうか、あんなもの見せられたら、一つの作品で物語を完結させることを絶対視する必要なんて、もうないでしょう。
 今作でも、(ゲームに接続する物語とはいえ)肝心の指輪の行方や、帝国の偉い人達の結末は一切明かされませんでした。
 でもそれは、物語の中では、そんなには重要ではないところでしょう。
 重要な物語……主人公の話を解決させるために、ストーリーを閉じるためだけのシークエンスが入らないことで、ストーリーがブレずに綺麗にまとまっているのではないかと思います。
 それが許される土壌ができたのが、この15年なのではないかなと思います。


 時の流れが、かつては許さなかった演出、展開を許容した部分が、作品に良い影響を与えているところも多々あると思います。
 むしろ、この15年で映画界隈も変わったなぁと、しんみりするくらいですね。
 ですが、それだけが今作の評価になるわけではありません。
 映画単体としても、十分評価すべきところはあります。

 まず、何より壮大な感じが出ているのが素晴らしかった
 今回の物語の舞台は、インソムニアという都市が基本となりますが、基本的に描かれるのはこの都市のみ。戦っている帝国領土も、主人公たちの故郷も直接描かれることはそんなにありません。でもその存在をしっかり認識できるのは、帝国、そして故郷の存在を、登場人物がしっかりと意識しており、設定だけの話に終わらせていしまっているわけではないのです。
 そして、インソムニアの描写も、そこに多くの人間がおり、多くの地区があり、その中心に王の居城があることを、終盤に至るまで様々の側面から見せてくれます。
 旧作で、ニューヨークのバリアシティーが描かれながらも、その描写が非常に限定的でこじんまりしていたのとは好対照だと思います。
 舞台の大きさは、設定書に書かれるプロフィールの数字ではなく、どれだけ広がりを見せる演出をしているか、ということなんですよね。

 そして、映画としての方向性をアクションとして舵を切ったのもよかった。
 そのアクションでは、主人公たちの能力に枷を設けたのも良いです。特にワープするときの「ナイフを投げるアクション」は秀逸で、ナイフを投げること自体が「ワープ」という能力を使う予備動作になるため、ともすれば位置関係を喪失しやすい瞬間移動を効果的に使っているように思います。
 そして、主人公側のアクションの中心にそのワープを起き、ワープを駆使することによって展開を広げていくのは、見ていて非常にわかりやすい。
 ぶっちゃけてしまえば、それは元々異能バトルものの基本中の基本ですし、もっと言えばアメコミ映画でいいだけ展開されているものではありますが、基本に忠実であることは何も悪いことではありません。その上で「ナイフを投げてワープをする」という動作にはそれなりの新鮮さと、そして楽しさを感じました

 それもあってか、アクションシーンの絵面は非常によかったです。単純に楽しかった。
 正直、スペースバトルシップヤマトだの、進撃の巨人だの、テラフォーマーズだの、ハリウッドに張り合おうとして結果残念な出来になった数々の実写映画の、そのどれよりもハリウッド映画に比肩してますよ。正直、その目標がどうかという疑問はありますけど、少なくとも、彼らが一生懸命やろうとしたことは、一つここで叶ったわけですよ。
 結局、ちゃんと作れば作れるんですよ。売り上げのために名前の通ってるだけの俳優をキャスティングしたりとか、そういったことばかりに腐心せず、できることをできる範囲でしっかりこなせば、このくらいの映画は作れるわけですよ、日本だって。
 何故やらないのか、って話ですよ


 ただまあ、良くないところもいくつかありますよ。
 例えば「終盤巨大兵器が動くけど、こいつらもワープするから画面が非常に見づらい」とかね。ただこれはハリウッド映画だって平然とやってることだし、十分許される範囲でしょう。

 ストーリー的な意味合いでは、物語の中でそれほど意味を持たないキャラがちょいちょいいたのも気になったかな。帝国の宰相は、おそらくゲームでも出てくるとして、焼け死んだルナフレーナさんの兄とか、もうなんの意味があったのかと。中村悠一の無駄遣い

 あとは、そのルナフレーナさんの声優さんが、少し気になったかな。下手、ということではなく、ルナフレーナの気高さに対して、少し等身大すぎる感じの演技だった気がします。その範疇では十分だったんだけど、今回の役とは、少し違ったかなと。
 主人公の声は思ったよりも良かったです。雰囲気がしっかりでておりました。
 他のキャストは当然言うまでもなく。登場人物におっさんが多いせいか、著名どころの男性俳優が目白押しで、映画に泊をつけております。

 そして、これが最大の問題点なのかもしれませんが……。
 この映画でなければ行けないものがない、ということでしょうか。
 いや、そんな問題を持つ映画は、他に山程あるのは知っています。だからそれを望むのは酷なんだと思います。
 ただ今のままだと、よくあるアメコミ映画の亜種のようにも見え、それを日本で(CGで)作った、ということ以外に、大きな意味を感じられないのですよね。
 それが大事だ、という意見も分かりますし、何より、映画ってそういうものではない、と言われてしまうと、反論することはできなくなってしまうわけですが。
 まあ、ゲーム本編の壮大なプロローグ、と捉えるなら、それがこの映画の価値なのかな……。


 結論。
 良い映画でした
 こういうことができるなら、正直もっとやってくれ、と思わざるをえません。ハガレンとか実写で作ってないでさ。もう日本において、実写でエンターテイメントを撮る意味なんて正直無いですよ。単純に「俳優を出したい」ためだけに実写映画取るなら、もうやめてくれって話なわけですよ。

 旧作から15年。あの時散々叩かれた作品は、今時代の流れを味方につけ、立派に成長しました。
 それと同時に、旧作は決して生まれるべき作品などではなかったことも、しっかりと分かりました。
 あれは、生まれてくるのが早かったのだ。15年後に、その時にできる最大の力で制作し、公開したのであれば、もっと別の未来は見えていたのかもしれません。

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