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鉄拳 Kazuya’s Revenge

鉄拳 Kazuya’s Revenge

 BDを見て参りました。
 見た映画は「鉄拳 Kazuya’s Revenge」

【ストーリー】
過去の記憶をすべて失い、冷徹なボス“牧師”が率いる武装組織に拉致された孤高の青年“K”(ケイン・コスギ)。暗殺者になることを強いられた彼が唯一信じていたのは、命の危機を察した瞬間に自らが放つ殺人的な“本能の拳”のみ。驚異的なその潜在能力を買われた彼は、この世に蔓延る罪人たちを処刑するという闇の任務を与えられたのだ。ある時、組織を抜け出した裏切り者の始末を命じられた“K”は、牧師の知られざる本性と、自分のアイデンティティに関わる驚愕の真実を知ることになる……。


みんしーやん的評価:
D

 そしてまさかの続編ですよ!

 正直どうやっても売上を出せたとは思えない前作の、まさかの続編でございます。
 続編とは言っても、本編の前日譚に当たるストーリーです。

 真っ先に目につくひどいところとしては、鉄拳感が皆無というところでしょうか。
 平八に一八、(多分)ブライアンなど、名前は鉄拳のキャラですが、見た目からそれを想起するのは難しい。平八なんてあの髪型してないから。ただの禿げたおじいさんだから。それ以外に、物語のキーになる「牧師」も、「牧師」の部下の女暗殺者たちも、いい中になる女の子も、鉄拳とは関係ないオリジナルキャラクターばかり(だと思います)
 これは鉄拳の映画ですよ、と言われたって、何を馬鹿な、と思われるのは必定。

 ストーリーもひどい
 明確な物語として存在するのは、<一八が記憶喪失になっていること、牧師と呼ばれる人物に囲われたこと、そこで暗殺の仕事を請け負っていること、離反すること、平八と決着をつける……手前までいくこと。
 その殆どは暗殺の仕事を請け負うところに終止するわけですが、ここのテンポが異様に悪いです。なんでもないシーンでもスローモーションが多用される。むしろアクション場面以上に、ただ歩いているシーンでスローモーションが多用される
 そしてかなり頻繁に挟まれる、「元々の記憶の断片のようなシーン」が、まあテンポを削ぐこと削ぐこと。正直、こっちはサブタイトルの「Kazuya's Revenge」ってのを知ってるから、その時点で「ああ、平八に記憶を消されたんだね」ってのはわかるわけですよ。その上で、あんな頻繁に挟まれたって、そりゃもう鬱陶しことこの上ないというね。
 あとは、アクションものとしての欠点が、最終的に戦う相手が、特に物語の解決に繋がる敵ではなかったということでしょうか。そういう意味では、最後に戦う相手が因縁のある一八だった前作のほうが、まだすっきりするわけですよ。正直今回は、誰と戦ってたのかすらわからなかったですからね。牧師あっさり退場するしね。

 映画の全体的な雰囲気も、まあ酷かったです。
 前作が、見た目だけでも原作を再現しようとして、ディストピア設定ながらも脳天気な作品に仕上がったのに対して、今回はひたすら陰鬱。アクションに入ってもスカッとするところがなく、ただただ重苦しいばかりです。
 この流れ、何かに似ていると思ったら、「ユニバーサル・ソルジャー 殺戮の黙示録」だ、ということに気づきました。
 「殺戮の黙示録」はそれなりには楽しんで見れたのですが、こちらは正直ダメです。言っても向こうは、ヴァン・ダムドルフ・ラングレンですからね。こっちはケイン・コスギですよ。

 なんていうか、ハヤブサさんの時も思いましたが、ケイン・コスギの朴訥とした感じは、正直アクション映画にそぐわないのではないかな。なんというか、どんな顔を作っても「何も考えていない」ようにしか見えないんですよ、彼。気合を入れた表情を慕って嘘臭くなるし、穏やかな笑顔もしっくりこない。じゃあ、無表情な殺人マシーン的な役ならいいんじゃないかと思われますが、彼の場合、「心がない」じゃなくて「何も考えていない」だけなので、むしろその択が一番ダメな気がしますよ。
 なんか、日本だと一端のハリウッド俳優みたいな立ち位置で語られますけど、正直どうなんでしょうか。
 という話題になると、「日本だけで受けてる外国人俳優みたいなものでしょ?」みたいな比較を持ち出す人がいますけど、それって違うと思うんですよね。だって、ハリウッドと日本映画界では、市場の規模が全然違うじゃないですか。
 正しい例え方をする、ならケイン・コスギって「全国区の番組でたまに見かける、地元ではそれなりに有名なローカルタレント」くらいの立ち位置だと思うのですよ。

 まあ、ちょっ話はそれるんですけどね。
 ちょっと前に、日本で「日本語以外使用禁止の店がある」みたいなのがあった時に、「それって、アメリカで日本語使うなって言ってるようなものだよね」みたいな前提で、賛否両論議論があったわけですが、その前提って間違ってると思うんですよ。論の比較としてまったく対になってないわけですよ。
 だって、英語と日本語は、対等ではないじゃないですか。
 対になる話をするのであれば、「鹿児島に旅行に行ったら、店で『お前ら薩摩ん言葉使わんならここに首おいてけ』(方言指導:島津豊久)と言われた」ってのが同じ立ち位置なんですよ。そう聞いたらどうですか。この店って、結構無茶なことを言ってるでしょう。
 なんでさ、そんなに偉そうなんだよ日本の人はよ。ローカルでマイナーな言語が世界で市民権を得てると思ってるんだろう。あんまり現実を見たくないのかな。

 話を戻して。
 ケインさんが有名なローカルタレント止まりなのは、やっぱり表情の演技の気合の入らなさが、大きく足を引っ張ってるのじゃないかなと思いますね。
 演技が下手でも、気合の入った表情を見せられれば、もっとしっくりは来ると思うんですよ。彼は、先程も述べたとおり、朴訥として気合が入っているようには見えませんからね。ついでに演技も下手ですから。アクション俳優でも、アクションだけ良ければいいというわけではないのです。難しいですね。

 でまあ、まとめとして。
 見る必要はないです! 以上!
 おそらく、何作か作るつもりでバンナムさんと契約とったはいいけれども、1作目が思いの外ずっこけて制作費が出なくなったので、どうするか思案していたところ、「ちょっと俺、撮りたい画があるんだよねー、アクションでさぁ。しかも安く!」みたいなことを言ってきた監督がいて、「じゃあ空いてる版権を契約が残ってる間に使っちゃうか。安けりゃある程度回収できるでしょう」的な感じで、「俺のやりたいアクション映画」に無理矢理鉄拳を当てはめたんじゃないですかね。
 だって、明らかに作品の毛色が違うし、予算だって露骨に違ってるんだもん。
 そして、この続編よりは全然見れたものであった前作のほうが、よっぽど書くことが少なかったあたり、負のエネルギーって偉大なんだね、とも思ってみたりね。
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