スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ヘイトフル・エイト

ヘイトフル・エイト

 映画を見て参りました。
 見た映画は「ヘイトフル・エイト」



【ストーリー】
雪が降りしきる中で馬を失った賞金稼ぎマーキス(サミュエル・L・ジャクソン)は、同じ稼業であるジョン(カート・ラッセル)と彼が捕らえたデイジー(ジェニファー・ジェイソン・リー)を乗せた駅馬車に同乗する。途中で保安官を名乗るクリス(ウォルトン・ゴギンズ)を拾った馬車は、猛吹雪から避難するためにミニーの紳士洋品店へ。メキシコ人の店番ボブ(デミアン・ビチル)や怪しげな絞首刑執行人オズワルド(ティム・ロス)などの存在にジョンが強い警戒心を抱く中で、事件が起こる。


みんしーやん的評価:
A

 いやまあ、映画としては面白いと思うのですけどね。
 その周囲のあれやこれやを含めたら、非常によろしくない映画体験が満載だったので、あまり気持ちがよいという感じがしなかったのです。
 なので、今回は映画の評価とは別に、個人の愚痴のようなものが多分に含まれますので、そういったところも「わかるわかるー」と共有しながら見ていただければいいかなと。
 単純に映画の評価から言えば、昔のタランティーノ作品みたいで楽しかったです。それこそ、「レザボア・ドッグス」とか「デス・プルーフ」みたいに、大掛かりなどんでん返しで物語的なカタルシスを覚えるよりかは、主に繰り広げられる会話の悪辣さやセンスの良さに入り浸るような、そういう楽しみ方がよいと思います。
 そう言う意味では、明確な「目的」のない映画なので、人は選ぶのではないかと思います。






 で、ネタバレ込みで書いていきますよ。

 まず納得のいかないことから書いていきます。
 一番納得いかないのが、映画の内容とは全く関係のない「日本での興行戦略」が非常に不愉快だということ。
 まず言ってしまえば、日本での洋画のポスターって、基本「格好が悪い」じゃないですか。それはこの作品に限った話ではないですけれども、特に今回に関しては格好悪さが目立つ。そもそもタランティーノがセンスのあった時代の映画を多大にリスペクトしているだけあり、ポスターとしてセンスのあるものを作ってるわけです。グーグル先生に画像検索してもらうとわかるんですけど。

ポスター1

 こんな風にね。

 でまあ、それが日本に来るとどうなるかといいますと。

ポスター2

 こうなるわけです!

 同じ素材を使っているはずなのに、この体たらくはなんなのかと。
 そして、中央にでかでかと記載される「[密室]ミステリー!」と「アカデミー賞……」の邪魔くさい文言ね!
 そもそもからして、映画に限った話でもないんですけど、日本人が大げさに勘違いしているのが、「賞を取ったから面白い」のではなく、「面白いと思う人間が多いから賞を取る」のであって、賞はあくまでも結果でしかないわけですよ。その賞を取るか否かの判断だって、結局は時世の流れとか、もっと言えば政治的な理由によって変わるわけです。アカデミー賞がその政治的な理由で受賞作品にただならぬバイアスをかけているのは、過去の受賞作を見れば一目瞭然なわけで、そんなことも知らずに能天気に「賞を取ったんだー、すごーい、おもしろーい」とありがたがるのは、非常に恥ずかしいことなのだと思います。せめて面白いという前に、「面白いかどうかを見極めよう」という意志くらいは持ってほしい。賞を基準にするのは構わないからさ。
 でまあ話が少し戻って、そういう日本人の感覚に合わせるためなんでしょうかね、この大言壮語で不愉快な文字列は。その結果ポスターとしてのデザイン性を著しく損なって、果たして犠牲に見合う集客は得られるのかなぁ。
 興行戦略という意味ではまだありまして。
 日本側ではこの映画の美術監督に日本人の種田陽平氏であることをアピールするのが散見されました。いや、それは立派なことですけど、その種田氏個人の才能であって、日本人の、ましてや大和民族の才能ではないわけですよ。そのあたりを一緒くたにして「俺がすごい」みたいな主張を繰り返すのは、本当に醜い。なんか「何代ぶりの日本人の横綱が」とか言い出して盛り上がってたけど、そんなことで盛り上がるなら「日本人以外は横綱になれない」みたいなルールをつくればいいじゃん。そうしたら満足なんでしょ? なんか中途半端な(一般論として認知されてはいるが吟味はされていない)正義感の狭間で、ものすごく歪で醜い精神性が大和民族には形成されていることを、彼らは気づいているんだろうか。醜悪ですらあるんだけれども。第一、日本人が美術監督になることと、映画が面白いものであることとは、まったく関係がない。

 さらに興行戦略の話は続きまして(長いな!)、この「密室ミステリー」というのも、「」かといわれると言い切れないところはあるが、少なくとも「真実ではない」と言い切ってもいいと思う。
 本編を見た後だとこの予告編もひどいもので、この映画は「犯人捜し」というミステリーに不可欠な要素には興味を持っていない。この映画がやりたいのは「虚実織り交ぜた裏の読み合い」とそこから生まれる緊張感、それがはじけた時の突き抜けたバイオレンス描写だと思うのですよ。少なくとも、日本版の予告にあるような、何某コナンやら、金田一何某のような、一般的に想起される「ミステリー」とは全くの別物です。
 それを知ってしまうと、正直日本版の予告編は「マッド動画」というか「嘘字幕」レベルでしょう。こんなものを、予告編とか偉そうに載せたらだめですよ。

 一応載せておきます。見たことある人は改めてこれを見直して、怒ってください。



 映画の評価、以外への文句は、とりあえずこんな感じです。あとは観客のカップルが常時小声で何かを話していた、というのがありますが、これはさらに関係なのでどうでもいいことです。


 本編はといいますと、まあさすがというかなんというか、何も考えずに楽しめる映画でしたよ。
 基本的に、出ている人間がどいつもこいつも信用ならないわけです。特にティム・ロスマイケル・マドセンなんかは、それだけでもう信用ができないです。
 しかしながら最も信用ならないのは、主人公であるところのマーキスではないでしょうか。もちろん、サミュエル・L・ジャクソンが演じている時点で信用ならないわけですが、ある時を境に物語内で彼の言葉が信用できなくなり、それと同時に、物語の性質が大きく変遷するわけです。
 マーキスがそれまで主人公然として行動していたことで、観客は少なくとも彼の言葉は信用できると思っていたはず。ミニーの話とか、マーキスしか知りえない、且つ、ことの真相に触れそうなことを主張するので、彼を真実の主軸にしていた。ところが「リンカーンの手紙が実は嘘だった」ことがあらわになった瞬間、マーキスの主張がすべて信用できなくなる。つまり、ミニーの人となりが、果たしてマーキスの主張通りなのかも、確証がなくなってしまう。ミニーは本当に不自然な方法でいなくなったのか、それとも、本当に一週間前に旅に出たのか。明らかに不自然な事実も、信用がおけなくなってしまう。このあたりの流れがさすがだなーと。

 そういう細かいところ以外にも、全体的な会話の雰囲気は非常に良かったです。彼らの信用ならなさと、一触即発の空気が存分に使わってくる。大きなアクションは何もないのに、大掛かりなアクションを経た結果のにらみ合いのような緊張感がある。この緊張感こそ、タランティーノらしさなんだろうなと個人的には思います。
 そういった全体的な雰囲気はレザボアドッグスに似ていると思います。「イングロリアスバスターズ」や「ジャンゴ」にもそういった要素はあったけど、上記二つにはもっと「分かり易い」盛り上げどころがあったのですが、今回はその緊張感だけで映画が構成されています。
 なので、「イングロリアスバスターズ」や「ジャンゴ」で「」がついたからタランティーノを見出しました、みたいな善男善女の方々は「面白くない」と言い出すのではないですかね。ただ、昔から好きだった人は、素直に受け入れられると思います。

 ストーリーの問題点はいくつかありますよ。一番気になったのが、「撃たれて瀕死のはずの二人が死体を持ち上げられるか」っていうことですかね。一人はちんちん撃ち抜かれてるのに、結構長い間生きていました。いやぁ、もっと早く死んでるんじゃないの。
 あとは、床下に隠れていた人が伏線なしに唐突に出てきた後出しジャンケン感とか、毒を入れた人間が謎解きを経由せずに白状したとか、つながりの悪く感じるところは色々とありましたが、でもこれは結局GAGAさんのミスリードに引っかかったからであって、「会話の応酬を楽しむ」前提を踏まえたらそんなに問題ではないのかな。実はストーリーの細かい整合性は重視されない映画でしたしね。

 まあまあ、面白いことは間違いないですよ。3時間近い映画ですが、そんなに長い感じはしませんでした。まあ、前半多少長く感じるかな、とは思いますが。
 見て損はないと思います。18歳以上の方はぜひ見に行きましょう!

 あと、R-18+って残酷描写だけじゃなくて、性的描写のほうだったのね……。ちんちんノーモザイクだったよ。

スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。