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メランコリア

メランコリア

 DVDを見て参りました。
 見た映画は「メランコリア」

【ストーリー】
巨大惑星メランコリアが地球に接近する中、ジャスティン(キルステン・ダンスト)は盛大な披露宴を催す。姉クレア(シャルロット・ゲンズブール)の夫(キーファー・サザーランド)が所有する豪勢な屋敷での宴は盛況だったが、花嫁のジャスティンはどこか空虚な表情だった。披露宴を取り仕切った姉夫婦はそんな妹を気遣うが……。




みんしーやん的評価:
A++

 何年か前に友人の結婚式がありまして、その二次会で主賓に2時間ほど待たされるという事件がありまして。そのとき周囲の人間に酔っぱらったみんさんがしつこいくらい「披露宴で二時間待たされる映画があるんだ」と言い続けて顰蹙を買ったことで有名な映画が、こちらでございます。

 オールタイムベストの一本でございますよ
 もちろん、万民が観て幸せになれる映画ではないけれども、少なくとも私はこれを見て、「幸せ」ではないかもしれないけど、満たされた気分にはなります。つらい時、苦しい時、そして、「今気持ちがプラスに傾いて、それを受け入れているな」と思ったときに、意識して観るようにしています。そして心を落ち着かせたり、浮ついた心を引き締めたりしているわけです。
 これはネガティブな人間が満たされる、ネガティブクスプロイテーション映画と言ってもいいでしょう(もちろん監督にそんなつもりはないでしょうけど)

 しかしながら、前半部は大変厳しいです
 「ジャスティン」の名を冠した第一部。おそらく、普通の人であれば幸せの象徴であるかのような、ジャスティンの結婚披露宴が舞台。結婚式というシチュエーション自体が、多分多くの人には喜ばしいことなんでしょうけれども、ジャスティンにとってはそうではない。どんなに繕って幸せそうにしてても、心の憶測にある虚無感には抗えず、感情を抑制できずに暴走してしまう。
 そして多分、基本ネガティブであり、ジャスティンに感情移入しまくってる私も、そのシチュエーションと、それをつらいと思っているジャスティンに理解を示さない周囲の人間が憎くてしょうがない。
 大好きな映画だけど、この前半部はできれば見たくないのです
 披露宴という、世の中では「プラス」と解釈されていることを、特に何の呵責もなく無条件に信じ切って、それが正しいのどうかも考えることなく、正しいかどうかを考える人間を、ただただ自分一人の思い込みを押し付けて否定する。
 その奥底にあるのが「幸せ」であること、もっと言えば「前向き」「ポジティブ」であることを肯定的にとらえ、それを否定することすら許さず、絶対的な善として扱われる。
 でも、本当に「幸せ」であること「前向き」「ポジティブ」であることって、いいことなんですかね?
 ネガティブであることだってそんなに悪くはないはずですよ。人類が生まれてから何年経ち、あと何年生きるとしたって、それは壮大な宇宙の歴史から見れば一過性なものでしかないわけで、その中の一人の寿命や、その人が子孫に受け継げるものなんて本当に誤差の範囲ですらないわけですよ。そんなものを「よりよく」生きるため、小さな人生を必死になって生きるのって、非常にばかばかしいと思いませんかね? 「幸せ」なんて不確かなものに必死になることなく、思った感情を素直に受け入れるべきだと思うんですよね。もちろん、素直にやった結果が「幸せ」「前向き」「ポジティブ」への執着なのであれば、それはその人のことなので、私は生易しく見守るくらいしかできないわけですが。まあ「幸せ」「前向き」「ポジティブ」なんてものは絶対的なものではなく、もしそれを絶対というのであれば、私の価値観が「絶対」と主張することにだって理解を認めてほしいわけですよ。
 腹が立つのは、世で「色々な考え方を認めなきゃいけない」とか言ってる人ほど、上記の感情に支配されている気がするのですよ。
 この映画に関連することであれば、ラース・フォン・トリアー監督がした「ヒトラーに理解を示す」という発言に対し「思想の自由」を主張する方々が「好ましくない人間」として、人間性を否定することで抵抗した、というのが象徴的だと思うのですよ。
 自分(たち)の抱く価値観こそ絶対で否定することすら許されない善。それが「幸せ」「前向き」「ポジティブ」であると。
 非常にばかばかしいことだと思うんですよ。
 そんなものに固執して「前向きでいなければ」と神経をすり減らすか、すり減らしすぎて自由な感情を抱けないほど心が摩耗するくらいだったら、自分は「不幸」「後ろ向き」「ネガティブ」であることを積極的に受け入れたいとすら思うのです。
 閑話休題。
 というわけで、そんなネガティブ人間によってこの前半部は苦痛でしかないわけです。
 ただ、これはポジティブ人間にも好まれる展開ではないでしょう。彼らは彼らで、ジャスティンが目の前の幸せを「受け入れない」ことにいら立つでしょうから。
 誰にも好まれない、まさしく誰得。ただ、すごく大事なパートです。

 でそんな前半部も終わりを告げ、姉の「クレア」の名を冠する後半部に行くわけです。この後半部が夢のような展開になっております。
 後半部はどんなかといいますと、一転巨大惑星「メランコリア」が地球に近づき、衝突するかという、物静かなディザスタームービーに突入します。とはいえ、ディザスター感は皆無ですが。
 何が楽しいって、前半あれだけ「ポジティブ」側におり、ジャスティンに散々不愉快をため込んでいた人々が、世界の崩壊を前に右往左往しており、対照的にジャスティンとみんさんの「ネガティブ連合」は「本当にこんな邪悪な人間どもは滅べばいいのにな!」と思いながら生き生きし始める
 そしてついにメランコリアが衝突し、地球が崩壊するその瞬間「ポジティブ」代表クレアさんは、息子の手を放し自らの頭を抱え、「ネガティブ」代表ジャスティンさんは、甥っ子の手を握ったまま最期を迎える。そら見たことか、ポジティブな人間が何を言ったところで、世界が滅ぶ瞬間は自分だけなんだ、愛すべき子供のことすら手放し、そうして抱えた自分ですら守ることはできないんだ。
 この後半部で、「ポジティブ」側が持っていた欺瞞が浮き彫りにされ、そしてネガティブ側が穏やかにその瞬間を迎える。それで私は満たされるわけです。
 とはいえ「ネガティブ連合」だって何も世界の崩壊を望んでいるわけではないですよ。私だって死にたくないし、多分ジャスティンだって死にたくはない。それでも我々が満たされたのは、世界や人類が滅んでしまったことではなく、その滅びを受け入れることができたこと、その一点にあるのだと思うのです。

 まあ取り留めもないですが。
 基本気持ちがマイナスに向かっているみんさんは、マイナスに終局があるこの映画は、自分の向かいたいところに進んでいるので大変気持ちよいのです。逆に、プラスにしか意識が向かないポジティブさんは、マイナスに向かうこの映画は不愉快で仕方がないのでしょう。
 でも、であればこそ一度見てほしいという気持ちもあります。この映画を見て、ネガティブの「悪くなさ」を知ってくれたら、それは「悪くない」ことなんだと思います。
 人を選ぶ映画であることは間違いないと思いますが、それを差っ引いても、展開される絶望的な絵の美しさは一見の価値があります。そう、滅びは美しいのですよ。ポジティブである前半部にはなかった画ですけどね。
 お勧めですよ。



 ただ、すべての人間に勧められるわけではありません。
 例えば、とある実写版「進撃の巨人」の脚本を書いた人は、脚本がひどいと言っておりました。
 そりゃまあ、実写版「進撃の巨人」の脚本とは違いますからね。実写版「進撃の巨人」の脚本みたいに、明るく前向き作品ではないですから。でも実写版「進撃の巨人」の脚本とは違う良さがそこにもあるので、実写版「進撃の巨人」の脚本を書いた人は、実写版「進撃の巨人」の脚本とは違うことを理解して、実写版「進撃の巨人」の脚本ではないこの作品の脚本を評価しないと、実写版「進撃の巨人」の脚本以外の映画評の信憑性も失うことになると思うんですけどね。まあ、実写版「進撃の巨人」の脚本を書くような人なので、実写版「進撃の巨人」の脚本のような深淵で文化的なものじゃないと気に入らないんでしょうかね。何せ実写版「進撃の巨人」の脚本を書いてるくらいですし!
 ただ、実写版「進撃の巨人」の脚本を依頼されて、書いた結果実写版「進撃の巨人」の脚本が出来上がるような人に、脚本についてとやかく言われたくないなぁというのが偽らざる私の真実でしょう。だってあなた書いたの実写版「進撃の巨人」の脚本じゃない。
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