ゴジラvsデストロイア

ゴジラvsデストロイア

 DVDを見て参りました。
 見た映画は「ゴジラvsデストロイア」

【ストーリー】
ゴジラとその同族・リトルゴジラは南太平洋上のバース島※で静かに暮らしていた。ある日、バース島の地下にある高純度の天然ウランが自然核爆発を起こし、それと同時にゴジラとリトルも姿を消した。
1ケ月後。香港に出現したゴジラは体全体が赤く光っており、口から吐く放射熱線の色もいつもの青みがかった色ではなく、赤い色をしていた。
ゴジラはバース島の爆発の影響で体内の核エネルギー制御が不安定になっており、いつメルトダウンを起こしてもおかしくない状態になっていたのである。
一方、とある工事現場で不可解な事件が相次いでいた。そこはかつて、芹沢博士という科学者がオキシジェン・デストロイヤーという兵器を使用し、命を賭してゴジラを葬った場所であった。


みんしーやん的評価:
B

 映画には様々なジャンルがあるわけですが、その全てを、同じメソッドで評価しては行けないと思うのですよ。
 例えば、ゾンビ映画ミステリーは全く違う映画だし、それぞれの映画に求めるものも違ってくる。ミステリーなら重要なのは、シナリオがしっかり練りこまれているか否か、不要な突っ込みをいだかせることなく且つシナリオが観客を騙してくれるか否か。逆に、ゾンビ映画ならそんな細かい整合性はどうでもよくて、突っ込みどころが多彩だとしても、ゾンビ描写とそのゾンビに食われたり倒したりする個々のシークエンスで十分盛り上がれるのなら、それは全く問題がないわけです。
 何故なら、ミステリー映画で見たいのは「犯人探しとそこに至るまでの練りこまれた脚本」であり、ゾンビ映画に求めるのは「ゾンビとそれに食われたり倒したりするところ」なわけです。
 なので、ゾンビ映画に対して「脚本がー」って理由で評価をしないのは、正しい評価ではないと思うのですよね。
 「怪獣映画」なるジャンルも、評価としてはかなり特殊な部類に至るのではないでしょうか。

 怪獣映画に期待するものは、シナリオの重厚さなどではなく、まあ勿論それもあるに越したことはないのですが、それよりも重要なのは、「どれだけ怪獣に魅力を持てるか」「その魅力を魅せるような描き方をしているか」という点に絞られるのではないでしょう。
 その点でいえば、ハリウッド版のゴジラ(ギャレゴジ)は、自分の中ではかなり評価が高い。脚本は確かに緩いところがありますし、ドラマ部分にはそれほど魅力を感じませんが、怪獣描写は大変魅力的です。ハワイでゴジラが出てくるところ、MUTOのつがいがイチャコラしているところ、ゴジラが放射熱線を吐く煙の中のシーン、放射熱線をメスMUTOにダイレクト噴射するところ。これだけでもう、十分ウキウキできます。

 さてさて、ではこの「ゴジラVSデストロイア」はどうでしょうか。

 ゴジラの造形は大変良いと思います。赤いゴジラってのがインパクト大きいし、それがゴジラの生態である、放射能に由来するところも、怪獣の造形としてはポイントが高いでしょう。
 逆に、デストロイアの方はその魅力に欠けるような気がします。「オキシジェン・デストロイヤー」という歴史的な遺物に、更に現在進行形の意義を与えたという点は評価できますし、そこから生まれた怪獣、というのも怪獣の構造としてはありです。ただ、それが何故、あの形態になるのか、そしてあの超進化に繋がるのかが、いまいち説明不足、仮に説明をされていても、いまいち腑に落ちないと言わざるをえないでしょうか。
 少なくとも、真っ赤なゴジラほどしっくりは来ていません。
 全体的なフォルムも、妙に動きが固そうで、あんまり格好がよく見えないのですよね。キングギドラやビオランテが怪獣として評価が高いのって、首とか触手とかがうねうね動くのが、非常に生物的で、怪獣という生命として格好が良いからだと思うのですよね。
 なんていうか、フォルムから連想するのがドラクエ系統のラスボスっていうか。なんかデフォルメされている感があるのですねよ。子供が喜びそうっていうか。いや、その事自体は悪いことではないんだけれども、怪獣としての魅力にあふれるかと言われると、そこは疑問に思わざるを得ない、というのが正直なところ。
 あとはライバル怪獣として、それほどゴジラに対して優位に立っていたイメージがないのもポイントが低いところか。


 シナリオとしての評価は……うん、まあ、ね。
 ちょいちょい役者陣の演技プランが、ちょっとばかしリアリティに足りないな、と思ったり、後はそもそも役者陣の選出が、当時の著名な役者ばかりで、演技的には選出されていないのだろうなと、思うところもありはしますが、まあそこは怪獣映画なのでね!

 というわけで、可も不可もなく! 赤いゴジラはかっこいい!
 こんなところで!
スポンサーサイト

ヤコペッティの大残酷

ヤコペッティの大残酷

 DVDを見て参りました。
 見た映画は「ヤコペッティの大残酷」

【ストーリー】
昔むかし、ウェストファリアの城に心優しき無垢な青年カンディードがいた。師パングロスの「すべてこの世は善」という教えに従うカンディードは、城主の娘であるクネゴンダ姫に恋焦がれる身。だがある日、庭の草むらで愛し合おうとしたその時に、城主に見つかり城を追放されてしまう。故郷を追われたカンディードは姫との再会を夢見て世界をさまよう。戦時下のブルガリア、拷問だらけの異端審問、現代のニューヨーク、紛争絶えないイングランド、女兵士が戦うイスラエル……。はたしてカンディードはクネゴンダ姫と再び会えるのだろうか?


みんしーやん的評価:
B

 古い作品でありますがね。

 「グァルティエロ・ヤコペッティ」と言えば、現代映画史の授業なんかでは名前が出てくるような人だと思います(その手の授業受けたことはないですが、出てきますよね!?)
 詳しくはググれというところですが、簡単に説明しますと、いわゆるモンド映画とジャンル付される「衝撃的で目を背けたくなるような事象、風習、場面を見世物感覚で編集した映画」で、走りというわけではありませんが、ほぼその位置に立っていた人です。自分は未見なのですが「世界残酷物語」(原題:Mond Cane)が世界的に有名になり、そのMondoをとって、モンド映画と呼ばれるようになったらしいです。とって、と言うか、Mondoをタイトルにつけた映画が山ほど出てきたから、ってことなんですけどね。
 モンド映画の是非についてはあると思います。結果的に「やらせ」「嘘」が満載だったわけで、どんなにキレイ事で締めたところで差別意識にまみれたものであることに疑いようはないわけですから。
 ただ、一つのムーブメントを生み出したという事実は、それが時代背景や運に根ざしたものだとしても、評価すべきことだとは思うのですよ。
 ところで、この人2011年になくなっているのですね。すごく最近まで生きてたんだ……。

 さてさて、それでこの「ヤコペッティの大残酷」です。「世界残酷物語」から「残酷」とあからさまな邦題がつけられていますが、実際のところはモンド映画ではなく、立派な劇映画です。
 原作はヴォルテールの「カンディード」ということですが、原作は未見であらすじくらいしか知りません。それでも、この映画が「原作通りに書いてない」ことはわかります。だって現代ニューヨークとかにいちゃうんだもんね。物語を逸脱しながら、ニューヨークに、アイルランドに、イスラエルに飛んでいき、そこで人間の凄惨さをつらつらと描いているわけです。
 もうね、救いなんかないわけ。
 一番凄惨なのは、お姫様がどんどんビッチになっていくことでしょうか。
 そもそもスタートに127回犯されたって時点で、お姫様自体は「完全に和姦じゃねぇか!」ってくらいやる気満々だし、その後四人の所有物になったところも、そんなに嫌がってる感じがしない。っていうかまあ、冒頭カンディードとイチャコラしてる時点で目覚めちゃってる感があるから、ある意味ここが一番残酷なところなんじゃないですかね。
 結局、男子は自分の性的快楽は棚上げして女子に清らかさを求めるけど、女の子だって楽しいことはしたい、ってことなんでしょうかね。
 そんな愛すべき美しいお姫様とのすれ違いは、最終的に老婆と成り果てたお姫様と再開によって幕を引く。かつての魅力を失い、もはや誰にも相手にされなくなった(であろう)醜い女性が求めるのは、かつて自分を愛すと言ってくれた男だけ。しかし男は、その彼女にはかつての情熱を感じることなく、ただ、彼女を愛していたという「責任」に駆られ、彼女のそばにいる。
 これもまた、非常に残酷な結末。かつては心から愛していたはずなのに、心から愛すことができなくなっても、愛という責任において縛られ続ける
 悲惨な現実やら何やらがつらつら描かれていましたが、結局一番の悲劇はここなんじゃないでしょうかね。
 となると、これって原作の趣旨と非常に似通っていて、切り口や描き方が非常に意地悪なのは否めませんが、ただのキワモノではない、案外しっかりとした作品なのではないかと、思うわけです。

 ちなみに、見た映画は修正などが一切されていないものでしが、この時代のものとなると、女の子が全裸になってたとしても性的な視線にはならないよね。
 となると、今の世の中で性的だの自主規制だの言ってるあれこれって、非常に刹那的な問題ではないのかな、と思ってもみたり。

KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV

KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV

 映画を見て参りました。
 見た映画は「KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV」



【ストーリー】
神聖なクリスタルを擁する魔法国家ルシスと、そのクリスタルを狙うニフルハイム帝国の対立は、長年続いていた。ニックス・ウリックらルシス国王レギス・ルシス・チェラム直属の特殊部隊・王の剣は、ニフルハイム帝国軍の侵攻に抵抗。しかし、敵の勢いを前に王は王子ノクティスを政略結婚させ、首都インソムニア以外の領地を放棄する。そして、ニックスはインソムニアで王国の存亡を懸けた戦いに身を投じることになり……。


みんしーやん的評価:
A

 直前に2001年版の映画ファイナルファンタジー(話や企画のつながりはありませんが、便宜上旧作呼んでおきます)を見ていたこともあって、色々と比べる部分はやはり多くなっていますね。
 世間の評価は概ね好評なようですが、その趣旨を乱暴にまとめると「旧作が興行的に失敗した結果面白くなかったらしいので、それと比べて今作は面白い」というところになりますでしょうか。
 要は、評価の基準が旧作であり、その比較で面白い、というのが評価の根幹にあるのです。
 これはね、よろしくないと思うのですよね。
 そもそも旧作と今作は何も関係がない。企画も繋がってないし、当然世界観も完全に乖離している。それなのに「面白い」理由が「旧作と比べて」っていうのは、やはり映画批評的なものではないなと思うのですよ。

 ふとした疑問として、「映画を見ること」に一般の人って、どの程度時間を割いているのでしょうかね?
 連休中に一日程度見る人もいれば、年に1回も見ない人もいるし、毎月見ている人、毎週見てる人、毎日何かしら見ている人だっているわけですよ。
 受け取る時のインプレッションが異なるのは当然として、映画に触れている回数が多い人のほうが当然、映画全体に対してより深い意見を持つことができるのだと思うのですよ。他の作品との比較もできるし、過去の類型から引っ張ってくることもできる。
 多くの意見が必ずしも優位ではないっていうのは当然として、今は「映画を見てない人」の意見も「映画を見ている人」の意見も、同じベースで語られてしまっているので、そこを明確に分けて意見収集することができれば、もっといい文化交流になるのではないですかね? という、本心とは乖離した強調部分での結び。

 でまあ話を戻しまして。

 ただ、それも致し方無い、とは思います。どうしてもやはり比べてしまう。
 旧作が公開されたのが2001年。今作が2016年。実に15年の月日が流れているわけです
。その間に、映画も色々なものが変わっています。勿論CG技術というものは眼を見張るものがありますが、変わっているのは、それだけではないのです。

続きを読む

FINAL FANTASY

FINAL FANTASY

 DVDを見て参りました。
 見た映画は「FINAL FANTASY」

【ストーリー】
西暦2065年の地球。かつて隕石とともに現れた謎の侵略者ファントムの襲来を受け、人類に未曾有の危機が訪れていた。どんな物質も透過して進み、あらゆる武器が効かず、触れただけで命を奪う無敵の存在達に、残った人類はバリアシティに暮らしながら、生命力を兵器に転用し、わずかな抵抗を続けていた。
そんな中、老科学者のシドと女性科学者アキはファントムを無力化させる融和波動を発見、これをもつ8つの生命体を探して人類を救おうとしていた。一方で政府は最終兵器を用い、ファントムの本拠、隕石を叩いて一気に戦争を終結させ地球を守ろうと計画を進めていた。やがて知る驚くべきファントムの正体と生命波動の関係。果たして地球の運命は……。


みんしーやん的評価:
C

 常々思うのですよね。
 興行収入と映画の面白さは、比例も反比例も、何らの関連性ももたらすものではない、と。
 映画の面白さを決定する要素は「論理的な突き詰め」「感性への訴え」であり、それ以外に映画の面白さを決定する要素はない。そして、それらが興行収入に反映されることもない
 何故ならば、どんなに物語論、演技論を極限まで突き詰めたところで、見る側がそれを分かっていないバカしかいなかったら理解されることはない。逆に感受性に訴えたところで、見るヤツがろくなセンスも持たない能なしだったら、それらが受け入れられることもない。完璧な理論完璧なセンスで持って作られた映画が、興行的に失敗する例はどれだけでもある。
 もちろんその逆も然り。論理や感受性なんてなくても、俳優と知名度と、宣伝と、そして過去の評価で、高い売上を出すこともある。むしろ、高い売上を上げる映画は、今やそちらに比重が置かれている。どんなにいい映画も、俳優と知名度と宣伝がなければ全く評価されない。評価の舞台にすら乗ることがない。そういうのを評価するのは、一部の、本当に一部の映画ファンだけで、そして彼らは「マニアック」というくくりに追いやられ、その評価を「特殊で異質だから」と、よく言えば参考意見、悪く言えば参考にならない意見と、隅に追いやられるのだ。
 それをいいように嘲笑うためだけに、偏屈な老人があらゆる権力を導入して、そのためだけに最後に創りだした映画が、「風立ちぬ」だと思うのですよ。
 自分はジブリは見ないので、この映画の批評はしません。ただ、伝え聞く話だと、映画論の構築やセンスなどが卓越していると思うのです。そしてそれ以上に、映画を見る前に必要な前提となる知識も、かなり高いハードルを要求している。
 当然、子供がそれを知るはずもない。大人だってわかりゃしない。でも、1位になっちゃう。それは「映画論」や「センス」を、理解できないまでも肌で感じているから、なんてことでは全く無い。
 とどのつまり、映画を売るためには、そんなものは全く関係がない。
 きっとこの映画が売れたのを見て、あの偏屈な老人は高笑いしながら、いかに一般人が無知で愚かかを、嘲笑っているんだと思う。本当に、皮肉な意味では全く無く尊敬に値する偏屈な老人だと思う

 勘違いしないでいただきたいのは、じゃあ論理や感受性なんて意味が無い、ということではない。
 興行収入と映画の面白さが、全く関係ないところにある、という話なのです。

 ……と、いうわけで映画「ファイナルファンタジー」の話になるわけですよ!

 歴史的な興行的失敗、という側面ばかりがクローズアップされ、それを跡追いする形で、「ストーリーがつまらない」「絵は綺麗だけど」という評価がつきまとっているわけですが、果たしてその評価は正しいのか。興行的失敗という事実の前に、映画への評価が霞んでいるような気がしてなりません。
 ちょうど、「FF15」の映画がやっているではないですか。この機会に見ておくのもいいのではないか、と思ったわけです。他人の評価ではない、自分の目で物事を見るのは大事なわけです。

 それでまあ、感想なわけですが……。

 あのね、思ったよりかは、面白くなくはなかった
 この映画の公開が2001年。あれから15年。色んな映画を見てきました。
 その中には本当にいろんな映画がありました。
 軍が作った兵器蜘蛛が大暴れするという、どこかで見たような導入部から誰も見たこともないエキセントリックな戦闘描写を経て、どこかでよく見るエンディングの映画だって見ました。
 そんな映画に比べたら、正直、そんなにつまらないと切り捨てるほどのことではないと思うのです。
 あ、いや、キングスパイダーを映画の範疇に入れるなら、ですよ! そこに議論の余地があるのは把握してますよ!
 改善点はいくらでもありますが、少なくとも、ストーリーそのものにそこまで批判する要素はないと思うのです。
 ただ当時は、ファイナルファンタジーお得意の「地球ガイア論」に辟易していたのもあるかもしれません。そう、地球ガイア論です。FF7で結構露骨に提唱されていた地球ガイア論です。皆様もやったでしょ? 「絶対エアリス生き残らせる方法があるはずだ!」って。まあバグで実現しちゃうわけですけど。あのライフストリームとか、あれが地球ガイア論です。
 まあ話を戻しまして。
 ストーリーはそこまで卑下するものでもないと思うのです。
 ただ良くないのは演出の方。盛り上げなきゃいけない幾つかの場所で、それがまったく盛り上げられず、淡々とこなされてしまう。音の一つでも盛り上げればいいものも、それも平坦。というか、サウンドは全体的に弱めなので、盛り上がりにかけてしまうのですよね。
 サウンド以外にも、非常に画作りが弱い気がします。そして多分その原因は「フルCGで作成していること」であり、細かい機微を表現することができなかったり、一瞬だけ挟まれるシークエンスのためだけに画を作ることの、おそらく予算的な問題などもあり、メリハリがなく、冗長な演出が目立ってしまっています。
 最大の売りである「(2001年時点での)フルCG」という事実が、映画の面白さとしては思い切り足を引っ張っているのは、皮肉でもあり、面白くもあります
 後は、これも演出に関わることなのですが、このストーリー、本質的には「B級SF映画」なのですよね。それを「超大作映画」としてリリースしようとしているところのちぐはぐさがある。一応上映時間は100分くらいなので、時間的には問題はないのですが(これって、多分今同じことをやられたら2時間半くらいの映画になるよね)、雰囲気とか押しの強さとか、そういうところで大作感が出てしまっている。ここをもっと、エンターテイメントに特化して、そこにお得意の地球ガイア論を混ぜ込めば、興行的失敗ばかりが取り沙汰される作品にはならなかったのではないかな。

 まあそんなわけでして、見直したらそこまで残念なものでもありませんでした
 勿論、手放しで賞賛できるものではないし、評価点よりも課題のほうが目立つ作品ではあります。
 ただ、興行的失敗という、言わば映画の評価とは無関係のところに引っ張られて、映画を本質を見逃すのは、非常に勿体無く、また、映画に対して失礼な行為なのではないのかな、と思う次第でございます。

 だからといって、進撃の巨人が面白いかと言われたらそんなことはない
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。