スーパー!

スーパー!

 DVDを見て参りました。
 見た映画は「スーパー!」

【ストーリー】
さえない中年男フランク(レイン・ウィルソン)。彼の妻(リヴ・タイラー)がセクシーなドラッグディーラー(ケヴィン・ベーコン)の後を追って家を出てしまう。愛する妻を取り戻すため、彼はお手製のコスチュームに身を包みスーパーヒーロー“クリムゾンボルト(赤い稲妻)”に変身。イカれた女の子ボルティー(エレン・ペイジ)を相棒に、危険地帯の犯罪に立ち向かうフランクだったが……。


みんしーやん的評価:
A+

 非常に良い作品であります。
 意地の悪いブラックコメディと、そこを一歩裏に行った時に見える答えの出ないテーマと、それはそれとしてテンポが良くて楽しく、そしてラストでは理解のできない感情によって泣くと。

 映画の中で行われるクリムゾンボルトの行為は、果たして全なのか悪なのか
 動機は何よりも善だが、実際にやっている行為はひどく暴力的で、それを見ている人間は、おそらくおおよその人間は違和感というか、「よくないこと」という認識をするでしょう。なればこそ「ブラックコメディ」が成立するのですが、じゃあそれは本当に「よくないこと」なのか。
 例えば、割り込みに入る人がいて、その割り込み人をレンチで殴ることは、よいことなのか否か。我々は「よくないこと」と認識する。多分激怒する人もいる。では、激怒する人に聞くけれども「それはどうしてよくないの?」
 多分返ってくる返答は「だってよくないじゃん」。答えを持っているわけではない。
 だからこちらから考えると、多分その良くないことの原因って、「順番抜かしという罪に対する罰として重すぎる」ということだと思うんですね。
 でもそれって、根本的な善悪論ではなくって、単純に、法律で定められている量刑の概念を引きずっているだけだと思うのですよ。
 もちろん社会を円滑に回していくためには、それはとても大切なこと。順番抜かしをした人間にレンチで頭を割ることを認めては、そこら中が血だらけになっておちおち歩けもしないでしょうよ。
 でも、それは法律の問題。当たり前の話だけど、法律と倫理は、まったく、完全に、欠片ほども関係のない話です。
 法律に定められていれば倫理的に保証されているわけでは、もちろんない。そして、法律で禁止されていないことは、倫理的に認められているわけでもない。
 つまり、我々がいだき、その人達が激怒した感情は、正義感でも倫理観でもなんでもなく、ただ単に、法律と正義を混同してるだけの話なんです。
 じゃあ、法律を忘れて、単純に正義だけを考えたとき、クリムゾンボルトの行為は、前か悪か。
 思うのですよ。それは、純粋な正義だと
 きっかけは色々あっても、その行いは、ただの正義でしかない。
 じゃあ、彼はその正義の先に、何を手に入れたのか。
 それこそ、映画の中で語られた「完璧な瞬間」を数多く手に入れたこと、なのでしょう。
 でも、それって幸せなことなのか。
 もし幸せなのであれば、彼はなぜ最後、たった一匹のウサギを抱いて泣いていたのか
 満たされた涙なのか。
 もしそうであれば、なぜ私はその場面を見て、号泣しているのか。
 良かったね、と、純粋に思うことのできない、多分悲しみと呼んでもいい、でも、そう言い切るには少し不安のある感情が、どうしてもそのシーンを見て、思い出して、溢れ出してくるのです。

 まあそれを抜きにしたって、普通の作品として普通に面白いことは間違いありません。
 ボルティーのはっちゃけっぷりだったり、麻薬密売人たちが基本的には極悪人ではなかったり、コメディとして面白いところもいっぱいありました。
 また何度か気が付けばこの映画は見るだろうし、そしてそのたびに、自分でもよく分からない衝動で号泣するんだろうな。
 グロとかに多少耐性があれば、そして、この手の意地悪さに興味があるのであれば、ぜひとも観ていただきたいと思います。

 それにしても、ケヴィン・ベーコンは基本的に外さない俳優だな!
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バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生

バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生

 映画を見て参りました。
 見た映画は「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」



【ストーリー】
バットマン(ベン・アフレック)は、両親の殺害現場を目撃したという過去のトラウマから犯罪者一掃に力を注ぎ、一方超人的能力を持つスーパーマン(ヘンリー・カヴィル)は、その力を人類のために惜しみなく使ってきた。だが、その破壊力の強大さゆえに、スーパーマンは人々からバッシングを受けるようになり……。


みんしーやん的評価:
C+

 うーん……。

 いやね、前作の「マン・オブ・スティール」よりかはいいと思うのですがね。
 自分的にはいくつか乗りきれない部分があって。いいところも確かにあるんだけれども、それ以上に良くない部分が気になるから、いい部分もあんまり自信を持って評価できないな、って感じなのですよね。
 鳴り物入りで入ってきたのと、クリストファー・ノーランが大好きなのと、ザック・スナイダーはウォッチメンが大好きなのがあって、ある程度期待値が大きくなりすぎていたのかな、っていうのもあるのですよね。そこをうまくコントロールできていたら、もっと評価を上げてよかったのかなとは思います。

 ただまあ、「マン・オブ・スティール」が存外に微妙だったのもあったのですが、その良くないところと同じような問題点はあったかな、というのは感じました。
 そもそもやっぱり自分が「スーパーマンにそれほど思い入れがない」というのが大きな問題なのでしょうか。
 「完全無欠の超人」というのも自分好みではないし、「(再解釈によりブレを含めたとしても)純粋な正義の味方」っていうのもあまり乗りきれません。そしてこれはどうしようもないことですが、やっぱりあの衣装はね……。「マン・オブ・スティール」でも基本は青タイツひらっひらのマントだし。

 逆に「バットマン」がそれなりに思い入れが強いのは、当然「ダークナイト」の存在はあるとして、物心ついた頃にティム・バートン版のバットマンをやっていたというのもあるかもしれません。あとは容赦がないところと、ヒーロー然としていないところが自分の感性にあっていたと。
 まあ、それはさしたる問題ではありません。
 結局のところ、思い入れがあろうがなかろうが、乗れるかどうかは変わってくるわけですから。
 そして残念ながら、今回は「そこまでは」乗れませんでした

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雑記

 まあね、ちょっと言いたいことがあるので言わせていただきたいのですが。 


 最近もなんですけれども、邦画のスタッフの方が
「邦画のクオリティが低いのは予算が少ないからだ、お前らに何がわかるんだ」
 的な発言をされておりました。
 この手の発言は、ちょいちょい以前から出てくるわけです。
 要は、ハリウッドのビッグバジェット大作と比べて予算が少ないので、それに釣り合うような作品は作れない、ということなんでしょう。


 そりゃまあ、そうでしょうよ。


 別段、誰もハリウッドのビッグバジェットに釣り合うような作品を日本でも作れなんて言ってないし、作れるとも思ってない。
 そもそも、ハリウッドだって予算があるからいい映画が作れるわけではない。
 あれは、新興の国であったアメリカが映画を文化として根付かせようと、意識的に注力した結果、様々なノウハウと、映像技術を育て上げる土壌ができて、それを円滑に回して利益を上げるだけのシステムが、長年かけて構築されてきた結果なんだからね。
 逆に日本にはそれがないわけじゃない。
 確かに、邦画だって昔からあったわけだけれど、それは今ハリウッドで主流とされている「大作」映画ではなくて、もっと小規模だけれどもコンスタントに展開されていったもののはず。それこそ「釣りバカ」とか「男はつらいよ」とか「トラック野郎」とかね。それが悪いわけでもない、そういう映画文化を持っていたんだから、それは誇らしく思ってもいいと思うんだよ。
 それではお金にならない、だから大作映画を取らなければならない、っていうんであれば、それはどうぞ、ご勝手にお願いします。別段、「進撃の巨人」だって、批評的には失敗でも利益はでているんでしょ? それで満足なら、それでいいじゃない。利益を得るための装置として映画を見ているのなら、別にそれでも構わないのですよ。
 もちろん、「映画」としての評価はそれとは全く別ですけどね
 文句言われても利益がほしいならそれでいいし、映画として評価されたいのであれば、最悪興行的な成功を捨てることになってもクオリティの高いものを作る努力をしなくちゃ。

 そもそも、「予算が少ないからいいものが作れない」っていうのも、随分と抜けた話だと思うわけですよ。
 予算がどれだけあったって駄作は平気で生まれるものですよ。それはハリウッドだって同じ。ビッグバジェットと鳴り物入りで公開され、興行的に成功を収めたって、作品の評価が上がらないものはいくらでもある。
 直近だと、「ファンタスティック・フォー」なんかが酷評されたりしているわけです。いくらかは公開されてないと思うけど、あれだって随分な予算がかかっている。
 逆に言えば、低予算だって面白い映画はいくらでもあるわけです。まあ、面白いかどうかは個人によりますけど、「CUBE」なんかはガッツリ低予算だけど、自分はオールタイム・ベストの一つに上げてもいいくらいの作品ですよ。
 それはハリウッドだから、っていうのなら、じゃあ「片腕マシンガール」とか「東京残酷警察」はどうなんだって話ですよ。どちらも驚くほど低予算で、驚くほどちゃちい見た目だけど、しっかり面白い。確かに、根本的に客を選んでいるというのはそうなんですけれども、その範疇の中で可能な限りいいものを作ろうとして、実際評価を得る作品にはなっている。
 「それはアメリカ資本だからだ、自主規制を省くことができるからだ」とおっしゃるのなら「じゃあ自己資本だけで作ればいいだろ!」って返したくなるのですが、それを差っ引いたとしても、「平成ガメラ」なんて比較対象があるわけです。
 「平成ガメラ」は制作費が最終的に6億円になったという話です。「進撃の巨人」が、真偽はともかく合計で「36億」という話があるので、その1/6の制作費で作られているわけです。時代の差はあれど、そこまで大きく物価も変わっていないとは思います。少なくとも6倍になってるなんてことはないでしょう。
 その上で、片や、未だに日本の平成特撮映画では上位の評価を得ている作品、片や深刻な酷評を受けている作品。もちろん、「進撃の巨人」が後々再評価される可能性もありますけれども、少なくとも今は酷評を受けているわけですし、指摘された「ダメな箇所」を見るに、そこが好転することはないと思います。あっても「巨人のCGは評価できる」程度まで盛り返すくらいしか。



 ちょっと書くだけだったはずなのに長々書いてしまったのでもう締めますよ!
 結論から言えば
「予算の高低は作品の評価とイコールではない」
「低予算でもいいものはあるし、高予算でもよくないものはある」
「それは日本でもハリウッドでも同じ」

 ということですよね!
 結果的には至極当たり前のところに落ち着きました。
 ということは、その当たり前のことを邦画の制作スタッフが理解していない。というよりも、自分たちに指摘されたことを、根本的に理解していない
 我々はあなたに「ハリウッドと同じ感じで面白いものを作れ」と言っているのではない。
 「面白いものを作れ」と言っているのだ。
 そして、教師となる題材も、反面教師となる題材も、日本にもハリウッドにも、世界中に存在している。

 まあ、形として出てきた邦画のクオリティ以上に、こういうスタッフが関わっていることそのものが、邦画のダメさ加減の象徴のような気がしますよ。
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